ぎぎぶろ

ざれごとです

バスケを辞めたら教祖になった話

こんばんは

 

気付いたら先週で25歳になってました。

 

 

 

 

 

 

今回は嘘みたいな話をしようと思います。

信じるか信じないかはあなた次第です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕はこう見えてバスケットをやっていました。

 

 

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父親が学生時代にやっていたこともあり

父の社会人チームに4歳くらいからついて行き、

バスケを始めました。

 

庭にはバスケットゴールを置いてもらい、日が暮れるまで毎日練習

 

 

家でもスラムダンクを読み漁り、NBAの選手名鑑を眺めているようなバスケットマンでした。

 

 

 

僕の住んでいた地域自体は、バスケは全然強くはなかったですが、

ミニバスではキャプテンをやったり、

中学では県ベスト8にいったり、

市の最優秀選手に選ばれたりしていました。

 

 

 

 

 

当然高校でもバスケを続けるつもりでした。

 

 

しかし、僕が入学する事になった高校はいわゆる強豪校で、

僕が入学した年は、特に県内でも有名な方々が集まっていました

 

 

高校の入学式を終えて、部活のオリエンテーション期間で

バスケ部の風景を見学しに行き、そのレベルを目の当たりにして

 

 

 

 

 

あ、これは試合出れんわ

 

 

 

すぐに察しました

 

運動神経が格別良い訳でもなく

身長もめちゃデカい訳でもないので

 

自分の限界は何となく理解していて、

そんな中に入っていく勇気は僕にはありませんでした。

 

という訳で高校ではバスケ部には入りませんでした。

 

つまり中3の夏で僕のバスケ人生は終わりを告げたのです。

 

 

中3だと15歳なので、

 

なんと10年前。

 

 

 

未だにバスケを辞めてから10年も経ってしまったなんて信じられません。

 

 

正直当時は結構悩んでいたので、通学の時に聴いていた音楽は今でもそんなに好きではないです。

 

 

そして、他の部活を探すことになるのですが、

運動部に入ろうにも今までバスケしかしてこなかったので、自分が他のスポーツをしている姿が想像出来ませんでした。

 

 

という訳で色んな文化部に入ることにしました。

兼部もOKという事で楽しそうなものは色々入りました。

 

 

まず、和太鼓部

 

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オープンスクールの時に演奏を披露してもらって

 

「かっけぇな〜」

 

と兼ねてから思っていたのと

かなりハードで運動系文化部といった感じで、僕みたいな運動部かぶれにはぴったしでした。

 

 

県内の和太鼓部の数は多い訳では無いですけど、

高一の時は全国大会に出たり

 

僕らがメインの年では関東大会で銀賞を取ったりしましたし、

 

県内のお祭りやイベントには引っ張りだこでした。

 

 

後輩達は、台湾で演奏したり、ラグビーのワールドカップの開会式て演奏してたりしたみたいです。

 

 

正直、和太鼓部だけでも十分高校生活を謳歌出来たのですが、せっかくならと他にも入部しました。

 

 

次はJRC

 

 

junior red cross(青少年赤十字)部です。

 

 

本来はボランティアなどをする部活です。本来は。

 

 

しかしボランティア活動なんてものは年に1回くらいで、基本的にろくな事をしていませんでした。

 

決して犯罪を犯していた訳ではない(と信じたい)ですが

警察を呼ばれたことや、反省文を書いたこともあります。

 

JRC部の活動だけで色々書けてしまうので、また後日(時効)になったらお話できたらと思います。

 

 

ちなみにJRC部は数年前に廃部になったそうです。残当です。

 

 

 

 

 

そんな学校の癌であった僕ですが、

 

 

 

 

 

 

実は生徒会にも所属していました。

 

 

まさかの遠隔転移、ステージIVです。

 

 

 

 

本来生徒会には、面接を受けて突破し無ければ、所属することは出来ないのですが

 

僕が希望した時期が少し遅かった事もあり、

 

当時の生徒会長に

 

 

 

「名前がかっこいいから合格」

 

 

 

と言われ所属が決まりました。

 

僕の名前は、たまにこのような効力を発揮します。

 

 

 

経緯は何であれ、生徒会ですので、普段の集会や様々な学校行事等を運営することになります。

 

 

そんな中ある事に僕は気付きます。

 

 

 

 

 

 

この学校を支配している人がいる。

 

 

 

 

 

校長先生のような類ではない。

 

 

もっと

 

もっと言い表せない何かが。

 

 

 

 

 

 

そしてある日僕は発見する。

 

 

 

 

 

オーイエ教の存在を。

 

 

 

 

薄汚れた部室棟の中に

肩まで長く伸びた髪に、髭を蓄えた先輩がいました。

 

その方はオーイエ教の教祖だと言うのです。

 

 

オーイエの正装は

 

良く言えば

 

 

『全ての祖、アダム』

 

 

 

 

悪く言えば

 

 

 

はっぱ隊

 

 

 

チ〇コップとも呼ばれていました。

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あとはだいたい想像してください。

 

 

そんな教祖が学校行事等の要所に颯爽と姿を現し、

全校生徒1000人をオーイエの儀式と共に導く。

 

 

 

 

そしてこの教祖は代々受け継がれており、

現在は122代目とのこと。

 

 

 

この異様とも呼べる状況に、追いつかない理解と同時に、興味が溢れ出てきました。

 

僕はその122代目教祖に着いて行くことを決心しました。

 

 

 

 

 

 

半年間ほど苦楽を共にすると、122代目はある日僕に告げました。

 

 

 

 

 

私はもう引退だ。

君が今日から教祖だ。

 

オーイエ教 83代目 教祖だ。

 

 

 

 

 

 

 

なぜ123代目では無いのか

 

そんな疑問は野暮なのだろう。

 

 

 

こうして僕はオーイエ教の教祖になりました。

 

 

 

 

教祖になってからは生活が一変しました。

 

 

 

 

朝、校門の前に立ち、

挨拶をしない生徒に対し激怒する野球部の体育教官は

僕を目の当たりにすると

 

「教祖様、おはようございます」

 

と頭を下げる。

 

 

 

名前も知らない後輩達にも

「教祖だ」と指を指され、

 

近隣の高校の生徒に

「オーイエ教って何ですか?」ってめちゃくちゃ聞かれる。

 

 

 

 

それだけではなく、僕の影武者として、当時の校長に僕の体育着を着せて体育館のステージに立たせたこともある。

 

 

 

なぜか僕ののぼり旗が出来る。

 

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卒業文集のようなもので

生徒会長を差し置いて僕の文章が1番最後に使われる。

 

 

 

 

挙げればキリがないですが、

 

気付いたら僕は学校中の全てを支配していました。

 

 

 

 

 

しかし1年が経ち、任期を終えて次の世代にオーイエのバトンを繋ぐ時期になりました。

 

 

大き過ぎる権力に溺れる事無く、普通の人間に戻る

という意味も込めた1年という短い任期なのだとその時悟りました。

 

 

幸いにも、僕の姿を見て着いてきてくれた後輩達がいました。

そんな彼らに向かって僕は告げました。

 

 

 

 

君たちは、今日から174代目 教祖だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

以上、僕の高校生活でした。

 

 

僕も何を書いているかよく分かっていません。

 

 

 

バスケを辞めたことを後悔していないと言ったら嘘になりますが、なんか結果面白い高校生活になりました。

 

 

1年くらいだったら皆さんも教祖をやってみてもいいのかもしれません。

 

 

 

コロナでオーイエ教も無くなってるんだろうな。

 

 

 

おやすみなさい。